「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す」のは、山本通4丁目で、ワシコフさんは隣人のロシア人だったそうです。
「神戸・続神戸」によると、戦時下に拘わらず、エジプト人、トルコ人に英国人、軍国主義の台湾青年やモンペを履かない女たち、雑多な人種が住んでいたそのホテルは、「トーアロード」の坂に面していたらしい。 空襲でここが焼けた後に移った“ボロ洋館”「三鬼館」は、「山本通4丁目」にあったそうだ。
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