須磨のラジオ関西
エピソード
1989年6月1日に開局した、FM802の看板DJとして活躍され、昨年の9月末を最後に
DJとしてのキャリアに幕を降ろされた、ヒロ寺平さんもこのラジオ関西で番組を持たれたのが最初でしたね。
1980年代後期の平日昼は「神戸アフタヌーンクラブ」を毎日聴くのが日課になってました。
他のエピソード
40年前一階のゲーセンの1プレイ50円のゲーム機は5円で動いたんですが集金箱に5円詰まってたからかいつの間にやら50円に戻ってましたね。
よくリクエストしました。ヒロ寺平さんの番組「カンカン ポップス フリーク」ハスキーボイスで英語ペラペラがかっこよかった。ラジオではお顔はわからず、どんな感じなのか?気になってましたが、最近、テレビにも出られていましたのでお顔を見ることができました。なるほど なるほど
♪こっこは海の見える 見える放送局ウウウ ランララララララン♬ チューインガムです。今でも流れてるのかな・・・
ビーチボーイズの「スマハマ」をよくかけてたな。海の見える放送局ってフレーズも懐かしい
ラジ関の一階には、分厚いカーペットの上にクッションが置かれた当時ではしゃれた広い喫茶ラウンジが有り、リクエストした曲をかけて頂けました。(45年前位かな?)小椋佳のアルバムを良く聞いたなー。さらば青春とか(笑)
サンチカにはサテライトスタジオがあって、ここで、アマチュアバンドが演奏を披露する公開番組をやってました。
となりのお兄さんがこの番組に出演して、しばらくは“ご近所のヒーロー”でした。
須磨のラジオ関西、懐かしいですね。
当時、同局の番組のリスナーで、番組のイベントで行ったりしましたね。
一階のゲーセンもよく行きました。
ラジオ関西は大震災の前まで、須磨海浜水族園の向かい側のマンションの中にありました。隣のレストランやボウリング場の建物に「JOCR ラジオ関西」の看板があり、幼稚園の遠足で水族園に行った時、社屋の前を通った私は「ラジオ関西ってレストランの中にあるの?」と不思議に思っていました。
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