宝塚ファミリーランド
エピソード
夏になると夜も開園して、ゲゲゲの鬼太郎のお化け屋敷に行ったような。ネズミのジェットコースターが急に曲がるので振り落とされそうでスリル満点!
他のエピソード
ファミリーランド内に有った電車館がお気に入りの場所でした。往年の阪急電車が常時展示されており、鉄道少年にはたまりませんでした。
小さい頃に初めて迷子になった思い出の場所でもあります。。
「世界は一つ」がパクリと言う話ですが、64年のNY万博での特設の模倣であって、千葉やフロリダより遥かに古く、ロスに移設された常設とほぼ同時に公開されてます。当時にその速度感で歌劇団に作曲、設営していた事を誇りたい物ですが…
自分の中で遊園地といえば、ここでした。
人形のアトラクションは帰る前の締めくくりに必ず乗ってましたね。
閉園したのは中学生くらいでしたが、今でもなくなったのが残念だと思います。
子どもの頃、家族旅行で行ったなぁ。滅多に旅行に連れてってくれない両親だっただけに、非常に思い出深い場所です。とはいっても、覚えているのはジェットコースターと象くらいですが・・・。
ありましたね!
私は恐竜展?館?のようなのが怖いくせに好きで何回も見た記憶があります。ティラナザウルスが子供心に怖かったです。
行きの渋滞で、非常に不機嫌になってる写真が残ってる。幼稚園の頃だから40年以上も前。乗り物は父と一緒で母はカメラマンに徹してました。
ホワイトタイガーの名前が公募されたのは、1985年。
応募された中で一番多かったのは「バース」、だったんだけど、阪急(ブレーブス)の遊園地に阪神の選手と同じ名は「まずい」と、別の名が採用された。
閉園1年前、近所の子供たちを連れて行った。
今津線の線路に向かって猛スピードで下り、急角度で曲がっては、しばらく阪急電車と並走するジェットコースターが、死ぬほど怖かった…
ホワイトタイガーも懐かしいが、もっと昔は、武庫川でボートにも乗れた。
幼稚園児のときの記憶だからあいまいだが、ひよことふれ合える施設があって大好きだった。大人形館「世界はひとつ」が大好きで、ディズニーランドのパクリじゃんなどと家族で軽口をたたいていたが、遊びにいくと毎回乗っていた。思い出すとちょっと泣けてしまう。
最初に行った遊園地のプールはファミリーランド。
絶叫マシンに最初に乗ったのもファミリーランド。
といっても歌劇場側のバイキング。
家族、友人とよく遊びにいっていた。小学生の頃は、ジェットコースターに乗りよく泣いていた。そんな自分を見て兄が、一緒に乗れる乗り物を探して乗ってくれた。中学生になると、ジェットコースターも友人と楽しめるまでになっていた。
世界はひーとつって歌う人形が宝塚歌劇バージョン!やたらとGのかかるミニコースター!8人くらいで乗れるくるくる回る急流すべり!自分の子供にも見せたかったなぁ…
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