がら空きの新快速
2019/12/04 たろからさんの投稿
エピソード
それ以来、京都へ行くときなど、あの座ってても尻が浮き上がるほどの揺れさえ我慢すれば、速いし確実に座れるしで、よく使うようになった。
国鉄時代の新快速は、複々線内側の電車線を走っていたのだが、新大阪にも停まらなかったので、北陸行きの特急を追い抜くことも度々でした。
他のエピソード
2022/11/17 榮蓮のブログさんの投稿
乗り始めたのは1972年位から。当時は10時~16時の運行だった。明石~大阪の間に三宮しか停車せず、非常にお得感があった(今は停まりすぎ)。しかし、ガラガラだった記憶はなく、朝夕は通勤電車並みに混んでいた。距離やダイヤを増やすほど乗降客も増えていき「ガリバー」の異名を持つ。
2021/12/23 たろからさんの投稿
そうでした。
新快速、登場時の電車は、デッキがついた電車でした。
当時は快速電車にもありましたから、当然、新快速にも座席に灰皿が備えられていました。
自分にも、新快速車内で煙草を吸っていた記憶があります。
阪急や阪神は全面禁煙でしたので、喫煙者にはありがたい電車でしたね。
2020/03/30 よっちゃんさんの投稿
ありましたねぇ~。急行型の165系だっけ、ドアが車両の端にしかないので、早めにデッキに行かないと降りれません。それに昼間しか走っていなかった。快速電車に冷房が無い時代だったから、揺れても涼しくて優等感がありました。
2019/12/03 たろからさんの投稿
いつも阪急か阪神だったのですが、ある日の午後、大阪から三宮まで、国鉄の新快速を使ってみたのは、1974年。
車内はがら空き、というより、6両編成の各車両に平均2~3人で、走り出すと、めちゃ揺れました。
停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路だった。
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